こんにちは。ブロガーが本格的に走り始めたのは2009年秋から、それ以前は季節ランナー*1を5年ほどやっておりました。2年程前からマラソンブームが始まり、最近人気大会は数時間でエントリー締め切られることもしばしば。今年のつくばマラソンが朝10時エントリー開始で、午後4時には締め切っていたのはびっくりしました。平日の昼間っから時間に余裕ある人多すぎて笑うレヴェル。サラリーマンなめんなよと心の中で叫んだのは言うまでもありません。
北海道マラソンは昨年から気になっていたのですが、制限時間5時間に加え、最低でも過去2年以内にハーフで2時間20分を切ってるランナーでないと参加すらさせてもらえない敷居の高さに断念。昨年出場したハーフマラソンでやっと参加資格を得て、今年実現しました。いきなりフルもどうかと思ったんで、去年のつくばマラソンにおいてフルマラソンを経験。ゴールはしたけど制限時間に間に合わず記録はDNF*2
6時間も切れないランナーが9ヶ月で5時間切りを目指すなんて!目標は高いと思うくらいがモチベーション上がっていいのです。
2011.8.28 レース当日
スタート直前の気温29.8℃、湿度45%
中島公園横のダミーグリッドに着いたのがスタート40分前。容赦なく照りつける太陽。何の苛めだろう。12:10乾いた音が「パン」と微かに聞こえた。初めて観た時計台ぐらい存在感がない音だった。約1万人のランナーがスタートラインを通過するまで5分以上かかった。走り始めると時おり吹く風が心地よく、暑さの中にも秋の訪れを感じることができたのも澄川で下りに転じるまでだった。進行方向がほぼ180度変わって追い風、つまり相対的に無風となった。暑い!
2回目の豊平川を渡った辺りから左足親指の付け根が痛くなってきて徐々にペースダウン。北13条辺りで応援している筈の札幌在住友人の姿を探したが発見できなかった。北24条を左折して北大の縁をかすめて右折、1km先を左折しJR学園都市線と平行する道へ…くらいまでは遅いながらも心は前向きだった。もしかして完走できるんちゃう?などと思ったりしていると15km地点通過が13:56、時間切れ失格ラインが4分後方まで迫ってきている事実にがく然。次のCPまで持つか?反対車線を走るAグループのランナーが多くなってきた。反対側の給水ポイントに32.5kmの文字が見えた。えー、折り返してきてあそこでまだ10kmあるのかよ。心が折れて一気にペースダウン。後でラップチャートを確認したらここまでキロ6分後半〜7分で走ってたのが、急に8分台まで落ちてた。
背後から「何番の方、歩道に上がってください。後から救護車が来ます」とかいう幻聴が聞こえてくる。せめて中間点まではたどり着きたい。目の前の坂を駆け上って、力を振り絞ってがむしゃらに走った。しかし、係員が車道のパイロンを片付け始めた直後、マーシャルカーから20km関門が封鎖されたことを告げられた。
終わった。走りきれなかった無念さよりも、肉体的精神的苦痛から解放された安堵感のほうが上だった。歩道に上がってNIKE+GPSをキャンセル。スタートしてから2時間25分後の出来事。20km関門まであと200mだった。
付近にいたランナーを回収した大型バス2台は円山公園ローカルを回って大通公園に到着。ゴールライン付近にひっそりと停車。皆無言でバスを下りた。ちょうど3時間を切るか切らないかぐらいのトップランナーがゴールインしている中、うつむき加減で歩く。大会側の配慮でゴールしたランナーと同じ動線を歩いたが、ゼッケンのアルファベットが大きいし完走メダルをぶら下げてないので一目瞭然である。
宿まで約1.5kmを歩いて帰った。フルマラソン2回出場して完走率0%の事実だけがある。
問題点と分析
完走できなかった原因は練習不足以外ありません。9ヶ月の総練習量は460km、月平均約50kmしか走れませんでした。一般的にフルマラソンを完走する力があるかどうか目安の練習量は、月300km必要と言われてます。一日10kmを毎日なんて正気の沙汰じゃないよ。矢張り、平日の昼間っからレースにエントリーできるくらい時間に余裕ある人じゃないと、まともにできないスポーツなのかもしれません。
痛くなった親指の付け根は両足とも水ぶくれが出来ていました。走り方が根本的に間違ってるのでしょうか。以前、かかと着地で走っていたとき、膝に負担がかかりすぎて10km程度しか持たず、今のつま先着地に変えました。これだと足のバネで走るため膝は守られるのですが、オーバーペースになりがちでコントロールがシビアです。しかも、今回のようにつま先辺りに負担がかかります。もうどうすればいいのか分かりませんが、来年の北海道マラソンも出る気満々だったりします。*3
では、また1年後に。アデュー