かごぼん具'

おでかけにっき

角川武蔵野ミュージアム

埼玉県所沢市にある角川武蔵野ミュージアムに行ってきた。電車で。

古墳チックな像

お目当てはこれ。

しまった、撮影者が映り込んでいる。

ミュージアム入って左側のチケットカウンターで入場券を入手。入場券を買う行列が生成されておらず、意外と空いてるかもと少し期待したが、二階の入口で甘かったと悟った。前半のコーナーは蟻の入る隙間もない程、人がびっしり詰まっているうえに、列が全く動いてない。最初から観るのは諦めて、奥のコーナーまでショートカット。会場内はファンの熱気なのか空調が効きすぎてるのか判らないが、凄まじい暑さで、防寒具はすぐに脱いだ。コア年齢層は40〜50代かと思う。

単行本表紙の原画が圧巻。キャラクターは大体見たことある絵ばかり。しかし、絵よりも説明書にさらっと重要な設定があったので、説明書だけは目を皿のようにして読んだ。展示方法で良かったのが新旧比較。新型はぜんぜん違う設計思想のメカなのに、旧時代のテイストを残しているデザインは流石永野先生。けれども、兎に角人が多すぎて、前の人が動かないのに後ろが列になると、せっつかれているようで、前の人の前が空いたら追い越していったら1時間程で出口に着いた。最後の展示だけ奇跡的に空いていた。まさか全員追い越してしまったのでは?

周囲を気にせず作品に没頭出来る程のファンでもなかった自分に気づいた。まぁ薄々気付いていたのだけれども、せっかく電車で1時間の場所で開催しているのだからファンの端くれとしてお布施しとくかなと思った次第。最大の収穫は、いつ行くかで悩んでいた悩みがひとつ減ったこと。

さいたま歩き4

青葉園

鴨川の支流が削った谷戸を利用した共同墓地。南北600m、東西300mの広大な土地に幾千もの墓石が整然と並ぶ光景には工業的な美しさを感じる。墓石は台形である。共同墓地を利用する条件なのか、すべて同じデザインで統一。都会は墓石もおされだな。

また、南側には立派な藤棚があった。5月頃に再訪するか。

原稲荷神社

古墳の上に拝殿がある神社。

由緒書きによると、原稲荷古墳は直径40m、植水古墳群最大の規模らしい。植水古墳群は指扇台地の先端に分布していた古墳群。15個の古墳があったそうだが、自然状態で現存する墳丘は無い。

神社の前に掲示してあったポスター

鴻沼の企画展がさいたま市立博物館で開催中。これは行かなければ。

とんび坂

鴨川を並木橋で渡って、指扇台地へ登っていく坂自体はただの道なので省略。案内図が収穫だった。

先週見つけた歴史散歩コースの案内板と絵柄が似ている。同時期に設置された物と推測するが、描かれている絵地図は違う。庚申塔の情報が豊富。庚申塔は興味がないわけではないが、他に興味を惹かれる物が多いので今のところスルー状態。

さいたま市立博物館


武蔵氷川神社への参道そばにある施設。日曜の午前で、見学者がわたしの他に3〜4人。鴻沼の企画展は、鴻沼資料館で見た内容以上の情報は無かった。地下の常設展に羽根倉道や西武大宮線の資料展示があってそちらのほうが興味深く観覧できた。

板石塔婆

高さ4mもの板状の石碑。これは初めて知った。鎌倉時代中期〜戦国時代初期にかけて建てられた供養塔。市内にも10本程現存しているようだ。

羽根倉道が描かれた地形図

歴史散歩コースの案内板とは異なるルート。まぁあっちは荒川の氾濫原を通るから、正副予備など複数あったと考えればいいか。

昭和7年の大宮町

西武大宮線が載っている。鴻沼川を渡る手前まで専用軌道、以降は路面電車になっている。右上の大宮種鶏場は現在の国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構農業機械研究部門(長い)、その右側の空白は中島飛行機大宮製作所(現自衛隊大宮駐屯地)がある筈だが、軍需工場なので地図には載っていない。

一日いられるレヴェルの歴史資料満載の博物館だった。これで入場無料。

さいたま歩き3

永田家の長屋門(永田陣屋)

陣屋とは、その土地の権力者の屋敷のこと。江戸後期の関東郡代伊奈忠治の家臣の永田氏が拝領したと伝わる。現存するのは長屋門築地塀と屋敷の周囲にある水堀。個人宅ながら、外から眺めるぶんには一般開放状態。長屋門は忍者返しも備える由緒正しい造りだった。奇跡に近い保存状態。

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さいたま歩き2

三連休でローカルを偵察してきた。徒歩で。

琵琶島古墳

上から観ると70m×25mの細長い丘。高さ4m程の頂点に祠があり、稲荷神社と書かれた鳥居がある。

さいたま市遺跡地図でもGoogleMapでも琵琶島古墳と表示されているのだが、案内板の類いは一切無い。

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伊佐沼

埼玉県最大の自然湖沼が近くにあると知って行ってきた。カブで。

伊佐沼は川越市東部に位置し、南北1.3km、東西0.3kmの細長い形をしている。670年ほど前に溜め池として整備された。昔は南北1.8kmもあったが、昭和初期に北半分が干拓されて現在の形になった。

貯水量はかなり少なくなっていて、底から現われた浅瀬に野鳥が羽を休めていた。

荒川右岸土地改良区事務所前にある案内板

春は桜の名所
初夏は古代蓮の花が咲く
夏は花火大会(隔年開催)
沼の西側には公園があり、フィールドアスレチックや野外音楽堂がある。

明治時代の伊佐沼

干拓前の形がわかる。

昭和時代(1970年頃)の伊佐沼

沼の南を東西に走る道路は、西武大宮線の廃線跡。川越と大宮駅を結んでいた路面電車で、国鉄川越線の開業によって廃止された。

土地利用図

黄色が宅地。*1ルーツは古入間川の自然堤防の後背湿地だろう。南側に堤防を築いて溜め池にしたと勝手に考える。

次は満水の頃に来たい。

*1:氾濫原における宅地は少しでも高い土地に建てられるので、宅地イコール自然堤防と推測。自然堤防に囲われた水はけの悪い土地が後背湿地。この場合は川越台地と古入間川に挟まれた後背湿地だったのだろう。